速報第二弾! 第三回 世界水フォーラム
分科会―ちょっと見歩き 二日目 2003年3月18日

多摩川・リバーシップの会会長
長野 正孝

3月18日、京都国際会議場で舟運では10の分科会が開かれ、4つの分科会が同時進行。日本の発表は超満員。他にも水資源、水質、灌漑、洪水など毎日数十の分科会が開かれている。「ちょいと見て歩き」に徹する。ただ、多くの外国人がCNNのブッシュ演説に不安げに食い入るような顔でTVの前に釘付けに。「水会議どころではなくなった」といった人達も。

すいていた、オランダ公共事業水管理省、アメリカ工兵隊の皆さんが「waterway management」,という概念について議論している分科会があった。日本人の応援団いなくてかわいそう、しばらくお付き合いした。
waterway management
そこでは、日本に役立つ、大変、含蓄のある議論をしていた。
パンフレットでは、「総合水資源マネジメント」となっているが、どうも日本語訳が違うようだ。もともと、日本にはない概念であるので難しい。強いて訳すとすれば、総合的水利用?「川(水路)について治水、利水、環境、舟運、港湾、警察権を総合的に考え、望ましい水の使い方を行い、管理すること」か。して、その内容のキーポイントは、
船を通す場合、船主、運行者、役所があつまってどうするか考える:官民のパートナーシップが重要、発生するコストのシェアー
川(水路)を船に合わせるか、船を川に合わせるか
川に関与している利害関係者のインベントリーをつくる
適正なルール/レギュレーションをつくる
輸送全体の能力、監督方法、安全
長期に貨物があること、O/D調査
自由競争
安全と経済性のバランスを考えた水路のプロファイリング
環境対策にはボランティアの参加を
ここでの面白い論点に、「川(水路)を船に合わせるか、船を川に合わせるか」と「水路のプロファイリング」いうふたつの議論がある。前者の議論は、川には川なりの舟があるということ。多摩川のような浅くて、急峻な河川では、舟を川に合わせたから筏や屋形船があったのである。後者の「水路のプロファイリング」は総合化して判断するプロフェッショナルな仕事で、日本にはない概念である。
我々が源流から河口までの川下りをし、川遊びのプロフェッショナルとして記録していることが川のプロファイリングかも知れない。

■多摩川・リバーシップの会の記録
 
ダウンリバーによる水流実態調査 ―船で遊べる川への挑戦―
   2000年調査記録

   ●
2001年調査記録


次にアメリカとヨーロッパの比較が面白かった。ミシシッピー川流域のバージ輸送とライン川の船舶輸送との比較が行われ、ヨーロッパではコンテナが運ばれているが、アメリカでは運ばれていない。「不思議やなあ?」という議論がアメリカからあった。やがて、答は次第に分かってゆく。オランダやドイツでは内陸港湾をほとんど公共でつくり、船員養成も只、休日はトラック禁止、燃料は無税、補助金もある。コンテナをできるだけ船で運ぶように政府がインセンティブを与え、トラックのシェアーを強制的に奪っているのである。
一方、アメリカでは、荷主、船会社は自分で港をつくらなければならない、安全のための基金も取られるとか、結局、ヨーロッパより割高になって、トラックと競争できない。

「補助金(Subsidy)があるからコンテナ輸送が成り立つのでは?」と私が質問したらオランダ政府代表、海運組合の二人が顔を見合わせた。あとから休憩時間にブルインというオランダ運輸公共事業省の上級顧問が私のところにやって来ていうのは、「subsidyは実際やっているが、表向きはない」という。ライン川は国際河川、EUの国籍が違う船会社が競争している。そこで、各国で海運に対する助成が違えば、当然競争力がなくなる。英国など何も助成を受けていないところから、自由競争の原理に反するとして常にオランダ、ドイツが槍玉に上がるらしいので、タブーの議論らしい。オランダ政府は大気汚染、交通事故、混雑などの外部不経済要因を除くために助成しているというのがその理由。

ライン・マイン・ドナウ運河という1992年に出来たヨーロッパとアジアを結ぶ世界一の運河がある。川でいうとライン川とドナウ川を結ぶ3,000kmの運河、西側と東側ではルール(条約)が違う。ライン川流域はかの有名な「マンハイム条約」、これがあるからどの国のどのような船も、国籍も問わず、どんな積荷も差別を受けず、自由に航行できるようになった。東側のベオグラード条約も基本的に同じであるが、国が自由でなく不安定なので、建前は形式的には同じでも、実態は違うとのこと。今のところ、東西交易は難しいようである。

日本の舟遊びボランティアも同じ、川によって違う。助成を受けているところ受けていないところがある。それは、悲喜こもごも。北上川では、助成を受け3000万円掛けヒラタ船を復元、一関から河口の石巻までボランティアが運行している。しかし、問題は毎年数十万の保険、法定検査、維持補修を誰が出すか問題になっている。要するにつくるまではいいが、後はツケが回るかも知れないとのこと(これは外野席での話)。どこかの交流館も同じ。好事魔多しである。我々のように身の丈に合わせてきままに舟を持ち流浪していることが幸せかも。
アメリカの工兵隊では、最近のwaterway management予算に環境が増えて全体の20%を占め、ボランティアの参加を募っているという。水路がつくる湿地や希少生物の保護である。

国土交通省の防災とレクリエーションでは、北上川の千坂げん峰北上川流域連携交流会理事長が北上川の昔の舟運復活を夢見て、ボランティアが活動していることを紹介。元兵庫県知事貝原俊民さんが9年前の阪神淡路大震災で民間の船に助けられた話をされ、甲村河川局計画課長はリバーステーションなど整備するとともにレクリエーションのために船を通す川にしていることを強調されていた。河川局の分科会では、デレーケの河川計画断面は船を通すため蛇行して設計したという興味深い話があったが、実は江戸の昔から多くの日本河川は和船を通すために蛇行させてきた。江戸花川戸から川越までの人工河川新河岸川が代表例である。
さて、幾つかの分科会議論を聞いていて気が付いたこと。日本の分科会では「××をつくった、整備した、水路断面云々といった」ハードの議論が主流で、ヨーロッパ人の議論は、「制度、仕組、予算、管理、整備主体、スキル、ばらんす 」といったソフトの議論である。
日本では、河川が短く、急流で、ヨーロッパやアメリカとは違う、舟運を見直すことによって昔の地域の文化、伝統を再認識する、環境、景観を考えるような分科会があってもよかったと思われる。

いずれにしても、10年前は見向きもされなかった舟運というテーマが、日本で国際会議の場でのテーマになったことはすばらしいことである。このテーマを考えた裏方さんに感謝したい。




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