第三回 世界水フォーラム
舟運 
世界水フォーラムの議論を考える
2003年3月29日

多摩川・リバーシップの会会長
長野 正孝
世界水フォーラムを終えて・・・
2003年3月16日から23日まで開催された第3回世界水フォーラムでは、33のテーマおよび世界5地域に関し、351の分科会が開かれ、23日の最終日に声明文が出された。100以上のコミットメントが出され、主たる議論は発展途上国の水道をどのように普及させるか、ダムの持続的開発をどうするかという点であったと伺っている。

舟運については、日本の国土交通省河川局は、コミュニティおよび都市の活性化に寄与する内陸水運(IWT)活動を支援し、地震をはじめとする災害に迅速に対応できるシステムを確立する努力を約束したとしている。

しかし、ここの舟運の議論には幾つかの疑問が残った。それはハードの議論が先行し、どのようなシステムを確立させるかというイメージが見えなかったことである。事例紹介も神戸大震災における内航海運による港湾区域での救援活動で、海の事例が議論の過程でいつのまにか川の議論にすりかわり、防災ステーションも日本では極めて例外的に船が通っている荒川の例で、日本に普通にある川の議論ではなかった。

すなわち、我が国でごく常識的に地震防災というものを考える場合、東海地震によって大きな被害が発生すると想定されている地域で、そこの川といえば、安倍川、大井川などを連想する。しかし、これらの川には河口から船を通すに十分な水がない。一歩譲って普遍的な日本の普通の川で防災システムをイメージしても、水のない川であろう。このような川でのシステムができればすばらしいことであるが、どうもそうではないらしい。

もし、そうでなければ、ここでいう防災システムというものは、日本国内でも荒川、淀川など船が通える極めて限られた流域のローカルなシステム、言い換えれば大阪、東京などの都市で枝葉に別れた小さな水路を活用した都市防災システムの新提案ということができよう。

小さな枝葉のある都市河川では、それぞれの川の事情に合わせたシステムを考えてゆくことで、それはすばらしいことであるが、最初にハードがありきではなく、オランダの分科会での議論があったように、船会社、地域住民などと連携した個々の水路の健全なプロファイリングがあり、ソフトウエアーづくりがあり、それからハードが議論されるべきであろう。そのプロセスが日本で行われておれば、それを先進事例として紹介すべきであったろう。そして、そこには、環境、景観、拠点の港づくりなどを含めた総合的な政策があり、そのすばらしい政策議論の過程を説明して欲しかった。そのプロセスが普遍的なものとして国の他の河川や世界の類似河川に役立つからである。

そして、常に船が活動している状態になければ、有事の防災には役立たないことはここでも議論されたが、オランダの交通水管理副大臣シュルツ・バン・ホーゲンさんが語った都市内でショート・トリップの市民の生活物資を運ぶ物流を開発しているという発言があったが、このような仕組が今後の都市河川舟運と防災の関わりでヒントになるかも知れない。

もう一つ、防災上で重要なことは、都市の河川に飲める水、消火に役立つ水があることであろう。関東大震災の折、神田川の一角が焼け残った例からも「水がある、水が流れている川があることが震災の火災から守ることになる」「きれいな川の水が人々の命を救うということ」ではなかろうか?

多摩川に敷衍すれば、河川舟運という定義にあたるかどうかの議論はあるにしても、舟の通れる川、飲める水のある川とすることが必要であることを防災上の観点から国は宣言してくれたということで、この川にとっても喜ばしい限りである。

河川舟運について交通と環境、防災のニーズの問題として、一般市民レベルの参加が重要であるという認識は、災害時に小さな船があることは、橋が落ちた川で対岸に渡る。民間団体の船も有事には役立つかも知れないということであろう。行政がそのような視点で我々の活動を見守ってくれ、パートナーシップの関係ができればこの川での川遊びはもっと有意義なものになり、新しい発想がこの川で生まれるかも知れない。

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