多摩川の河川舟運と「せたがや湊」の復活  
― 21世紀の川の文化と景観を創る、川全体が博物館構想 ― 

(平成10年12月発表)
多摩川リバーシップの会会長
日本の水辺と運河を考える会代表幹事
武蔵工業大学 客員教授  長野 正孝

                          

1.日本の河川舟運の特徴 ― 短小急浅

(1)物流では限界があるが、レクリエーションでは面白くなる日本の河川舟運

今日、行政が河川舟運を振興させようとする背景には地球規模での大気汚染防止、炭酸ガスの削減という環境上の要請、輸送コストの軽減という経済上の要請があります。具体的には、都心部の道路の混雑緩和、排出ガスを抑制するため、時間価値を考える必要のない貨物、荷役にコストが掛からない砂利、砂、石炭、石油、セメントなどバルク物を水上輸送に転換してゆくことにあります。

 しかし、貨物が運ばれる我が国の河川は、距離が短く、勾配が急で、さらにモンスーン気候帯に位 置しているため、夏と秋に大量の雨が降り(日本海側は冬)、水はいっきに流れ下ります.また、洪水時と渇水時との水位 差がかなり大きいことが挙げられます。まず、距離が短いことですが、我が国では主要河川でも河口から上流まで船が通 える延長はわずか20〜30キロしかありません。一方、舟運が盛んな北ヨーロッパではライン川をはじめ主要河川の可航部分は数百キロの長さがあり、河床勾配もゆるやかで、常に水をたたえゆったりと流れ、船はかなり上流まで上ります。

実際に舟運が運送業として成り立つ距離は最低百キロ程度とされていますが、日本には適当な川がありません。幸い東京湾など波穏やかな内海と結ぶことができる荒川、江戸川、利根川、淀川など幾つかの河川と都心の小さな運河では成立すると考えられ、今ようやく実現に向けた議論がなされています。

 残された都心の運河  

一方、レクリエーションのための舟運は、河川法の改正をきっかけに大河川から渓流までカヌー、ドラゴンレース、ラフティング、屋形船によるクルージングなどが全国至るところで始まり、面 白くなっています。なぜならば、これらレクリエーションの船は30ー50センチ程度の水深があれば流れが早くとも可能であるからです。

 多摩川リバーシップの会の川下り  

 


(2)多摩川のクルージングは面白い

多摩川では物流のための河川舟運は無理であります。なぜならば、羽田の河口からの東京都水道局調布取水堰までは感潮河川で、勾配もゆるやかで荒川、利根川、淀川などを走っている貨物船は上ることができ、堰の通 過も可能でありますが、それからの上流では計画河床勾配が1/800と急になり、早瀬と淵が交互に続き、大規模な河川改修を行い、大型の閘門などを整備すれば別 ですが、河川の環境の変化、経済性、水資源の制約から大型船の航行は現実的ではありません。多摩川は昔は登戸まで舟は上がったとされ、小さいレクリエーションの船ならば技術的に幾つかの工夫をすれば二子玉 川付近までは上げることは可能で、このことは川の新しい文化、すばらしい環境をつくる可能性を秘めているということができます。

 

調布堰越え、舟の佃煮

川下りの楽しさ満喫  

 


2.魅力ある河川舟運の復活 ― 河川舟運は物流だけではない

(1)船は川の風景に彩りを添え、人を川に引き寄せる道具である

 ヨーロッパの運河、河川の最も大きな特徴は、国や地域の人々が、自分たちの運河、水路や水辺を、都市や民族、国家のアイデンティティ、自由と平和、繁栄のシンボルとして、或いは祖先の遺産として、美しい原風景として残し続け、実際に家の前の小川や運河で船遊びを楽しんでいることです。ロンドンのリージェント運河、巡りはそれだけで絵になります。 

 ロンドンのリージェント運河とナローボート
 

一方、日本の場合、歴史的には、政治、経済の中心の京、江戸、難波など巨大都市の台所を支えるための一極集中の官製の水路として河川舟運は発展し、やがて、明治になり、すぐに鉄道に代替し、昭和になって道路の普及によって消滅しましたが、市民のものにはならなかったのです。したがって、人の意識の中に古い水運や川が定着せず、共有の風景にはならなかったのです。
 そのため、高速道路で蓋をされた日本橋川、天空を高速道路が走る隅田川の風景を甘受し、カヌーで川を下れば釣り人が石を投げ、バーベーキューをすればゴミは放り出してゆくといった川と人とのおかしな関係ができ、それをまず変えることが必要であります。

 

(2)とにかく人を川に入れること

 河川法の改正で国民の川の365日の使い方が重要であるという認識が社会的に評価され、定着しつつありますが、とにかく、人と川とのよい関係をつくることが最優先で、まず、市民を川に入れることから始めることだと考えております。そのためには舟運というべきか、船遊びをすることが有効な手段であると考えております。  今まで小さい自分の宇宙で満足してきた人々、例えば盆栽をいじってきたお父さん、お花の会を開いてきたお母さん、子供部屋でゲームで遊んできた子供達を川に呼び込むことであります。カヌーやボートで川に入り、自分たちの川の風景を共有し、いかだ下り、手漕ぎボートレースなどの水と触れ合う活動から、やがて、上下の人々の交流が始まり、祭りや花火、花見などの新しい川の文化、川の風景を創ってゆくことになるからであります。

 現在、私は多摩川の水運の復活を求めた「多摩川リバーシップの会」を主宰していますが、ここではとにかく小さな船を多摩川に浮かべ上下流の交流を始めることによって、1)川の重要性を市民に認知させ、2)上下流の人々の交流を図り、地域の活性化に寄与すること、3)長い目でこの活動を見て頂くことによって、市民が多摩川の史跡を歴史遺産として顕彰し、4)船が走る昔の川の原風景を復活させ、5)水の新しい文化を創造することを考えております。

 

(3) 人が川に入れば、川がきれいになり新しい文化が生まれる

  ヨーロッパの観光クルージングは、ライン川、ヨータ運河などのごく一部を除き、一時間で料金1000円程度の手軽なコースが多く、例外なく川からの眺めがすばらしい。川そのものより、街の風景であるかも知れませんが、景色がよいということが、とにかく、観光クルーズの必要条件であるようです。美しいことは癒し効果 もあるのです。

 我が国の場合、ヨーロッパと違い、今のところ基準化された手続きで創られてきた川の風景は緑が少なく単調で、殺風景なコンクリート護岸が多く、背後の都市計画も川を意識したものではありませんでした。現在、美しさを取り戻す試みが「財団法人リバーフロント整備センター」などで高いレベルの研究が進められていますが、個々に見ればヨーロッパの美しい川のレベルまで至っていません。 柳川や小樽に見られるように地元の実践的活動から連携を生み、地域が活性化し、川の景観に市民運動が起こるようになれば、日本の川もより早く美しくなると思います。とりあえずは、川に市民を入れる、川を意識させることが必要であると考えております。

 徳川幕府は17世紀半ばの振り袖火事の後に、隅田川(大川)の川岸に寺社仏閣、芝居小屋、遊郭を移転し、さらに、現在と同じ不況の時代になった亨保の改革の時に、徳川吉宗は隅田川、飛鳥山などに桜を植え、おのぼりさんが集まる場を川筋に造り、賑わいの場をつくったのです。その結果 、伝統の江戸文化が隅田川沿いに華開き、清貧の中に幸せを求める風土ができたのです。

 ライン川下り

ハイデルベルク(ドイツ)の
閘門と遊覧船  

 


3.「伝統工法による川づくり」と原風景の復活

(1)伝統工法による川づくりと舟運博物館 ― 川全体が博物館

ヨーロッパでは木と石による伝統工法によって川づくりが進んでいますが、「リバーシップの会」と武蔵工業大学は、国土交通 省京浜工事事務所、世田谷区、多摩川漁業協同組合の協力を得て多摩川の田園調布堰から二子玉 川兵庫島約6キロメートルに、洋の東西の舟運の伝統技術(舟を上げ下げする技術)を勉強し、実際にそれで遊びながら船を通 そうとする提案をし,具体的に実験をしています。

 牛枠をつくったボランティアたち

完成した牛枠  

船が上りにくい800分の1という急勾配を逆手にとって、享保年間に四ケ領用水中興の祖である田中丘隅がつくった蛇かご、柵など「多摩川流」といわれる河川伝統工法を復活させ、澪筋をつくる、その時代にできた見沼通 船堀のような角落し堰を小さな川につくり、ゴムボート、カヌー、屋形船程度が上り下りできる昔ながらの楽しい水路をつくろうと試みています。今の次太夫堀や岡本民家園の復元は昔の建物であり、川の風景の復元には、その時代の河川技術の復元が不可欠で、それより治水、舟運のルーツに迫ることができるのです。 そして、そこに、往時の筏下り,屋形船のイベントを復元させれば、最終的には川全体を舟運の博物館、川下りのメッセにする構想であります。

 具体的には、牛、かご、柵などの昔の工法で河道を整備し、在来種の植生を考え、かっての「江戸名所図会」、広重の浮世絵にあるような多摩川の風景を河岸に復活させ、かって江戸時代に全国に普及していた船を上らせる角落し、神楽算、明治時代から大正時代に普及した閘門など舟の昇降装置を実際につくり、市民や学生と小舟で遊びながら実験、研究し、実際にクルージングできるようにするものであります。川の景色と過去の遺産が博物館になるような構想が必要です。これが本物のリバー・ミュージアムです。

 六玉川

昔の治水工法「かご水制」  

(2) 船を上げる技術は想像を絶する程進歩しているし、伝統技術は面白い

 平成3年に小生が土木学会で提案した「キャナル・ルネッサンス・プロジェクト」では、この国にはないがヨーロッパにはある巨大閘門、インクライン、シップリフトなどの技術、水循環システムを導入することによって、全国16個所の河川の水運化が可能であると提案しました。すなわち、河川の水の流し方を昔のゆるやかにたもたせながら流す方向に変え、浚渫、河道整備、閘門、インクラインなどの施設整備を適宜行えば、これらの河川では将来かなり上流まで船の航行が物理的には可能になると考えています。

 具体的には淀川では、当面、京都伏見までであるが、リフト、インクラインを使えば琵琶湖、日本海まで、荒川では大宮付近まで、利根川では熊谷、伊勢崎付近までは船を上げることが可能であると提案しました。実際に江戸時代には、伏見まで船で日帰りができたし、利根川水系と荒川水系を繋ぐ見沼通 船堀の角落しによって往来ができ、敦賀から疋田(北陸線と湖西線が交わる標高100m の街)まで運河がつくられ、北回りの米が京、難波に運ばれています。

 今から百年前に田辺朔郎が完成させた琵琶湖疎水は、インクラインと閘門によって大阪湾から標高85mの琵琶湖まで5トンの船を上げることに成功しています。多摩川では「みよかき」と称して、砂利組合と問屋組合の負担で人力で川底を一部深くする浚渫作業を行っておりました。

 したがって、昔の技術で多摩川に船を通すことは不可能ではありません。昔からあった小さい閘門、リフト、角落しなどで河道を整備し、クルーズ楽校で実際に船を通 す体験学習を行う、情報発信できる舟運のセンター・オブ・エクセレンスにしたいと考えております。実際、浦和では利根川と荒川両水系を結ぶ堰が徳川吉宗の時代に作られており、その復元の動きがある。(見沼通 舟堀)

 見沼通 舟堀

京都蹴上のインクライン  

 


4.二子玉川公園と仮称「せたがや湊(みなと) 」

(1)二子玉川地区再開発と多摩川の結節点「せたがや湊」  

 今、世田谷区では二子玉川地区の再開発が始まろうとしていますが、川との関係は防災機能としてのスーパー堤防と河川博物館が検討されています。21世紀の世田谷区民の生活を考えたとき、川とのよい関係を構築する場が再開発には必要であります。スーパ堤防をつくることも防災機能上必要でありますが、これによって多摩川と世田谷区民の距離を隔てるようなことがあってはならないと思っております。 吉宗ではないのですが、これからの公共事業は心の豊かさを追求するものです。二子玉 川に人の集まる場をつくることが重要で、私は再開発と多摩川との結節点に直接川と触れ合える場として公園内に港(湊、みなと)(仮称)「せたがや湊」をつくることを提案したいと思っております。

 世田谷湊構想 

(2)公園計画と湊 − 公園との思想の統一

a) 原風景の保存

公園計画はイベント広場、川の博物館、花の広場、運河、テニスコートなどいろいろな施設案が今まで盛りだくさんに考えられており、どの案も大変すばらしいものであります。ベルサイユ宮殿風の運河のある庭園、日比谷公園を模した人工的な水と緑園、代々木公園を模した森林公園もよいのですが、昔の世田谷らしさ、二子玉 川らしさ、昔の多摩川の原風景を復活させた公園がどうも地元の人々に求められているようです。江戸名所図会、広重の浮世絵にあるような多摩川の復活を前提にした、それと連続性を持った公園を提案したいと思っております。 洋の東西を問わず、舟運が現存している河川にはそれぞれ繁栄を遂げてきた歴史的な風景が「原風景」として残されています。例えば、隅田川、江戸川では、深川や向島、葛飾の江戸下町文化を支えてきた歴史が風景として一部残されています。ドイツのルール工業地帯のエムシャー再開発計画では、昔の閉山した炭坑の揚炭機、運河の遺構などをランドマーク的に残す努力が行われ、ライン・マイン・ドナウ運河では、古い19世紀のルードリッヒの運河の遺構、アルトミュール渓谷では中世からの村の佇まいを壊すことなく風景にとり入れた開発が行われています。開発が進んでも一部には地域の人々の心のよりどころが必要だからです。

  二子玉川東地区再開発事業によってこの地区は高層ビルが立ち新しく生まれ変わろうとしていますが、一部には、そこの文化や昔の景観を残した開発計画にすべきと考えております。公園の中に本当に多摩川の水があり、昔の風景があることが地域に住む人々のやすらぎになるのです。

 ハインリッヒェンブルグのリフト

ライン・マイン・ドナウ運河と
ふるい運河の調和  

 

b) 多摩川の水が流れ、昔の屋形船、砂利船が繋がれる風景

人々が公園から川に入ることができる水の道、すなわち、湊「せたがや湊」を堤防の内側(堤内地)につくり、多摩川の水と緑を引き込み往時の多摩川の賑わいを復活させることで、発展すると思っております。キーワードは原風景と遊び、水循環です。 残すべき公園の原風景は、茅葺きの屋形船、明治初頭から昭和39年砂利採取が禁止されるまで帆を張って活躍した砂利船、砂利輸送のために明治40年に渋谷まで開通 した玉電、多摩川沿いの料亭ではないかと考えております。 「せたがや湊」にかって多くの人が見た多摩川の屋形船で出入りできるようにする。中に二つの入り江をつくり、一つは、復元した屋形船と砂利船、漁船を浮かべる港、もう一つ子供たちが泳げるじゃぶじゃぶ池で昔の多摩川の水泳場を復活させる意図があります。さらに、川の中には筏流しの筏を復元させます。湊から現代のゴムボート、カヌーで出入りできる公園とし、中心部に料亭を復元させた博物館と水辺の楽校をつくります。、その裏に昔の電停を復元させ、復元させた電車を二子玉 川から約1km敷設します。第二の水循環は、少し上流の伏流水をパイプラインで湊の奥に引き、清冽な水が流れる湊にします。 この湊はかっては筏流し、砂利の輸送で海と繋がり繁栄していた世田谷区を再び海に向かって発展させる動機づけにもなると思っております。


多摩川の屋形船

 
砂利採取と運搬船


筏流し

 

c) いろいろな川遊びの拠点  

「せたがや湊」をここに整備することによってかっての二子新地の繁栄を醸す「屋形船」の就航を可能にし、月を見ながら屋形船で酒を酌み交わす場を川面 につくり、ついで、やがて思い出になるであろう乗馬学校の馬、ワンダーエッグの犬も川に入り、人と動物が共に遊べる、二子玉 川のよい時代の思い出が詰まった犬、馬、屋形船で遊べる川全体がテーマパーク的空間の創造を考えては如何と思う次第です。

 さらに、この開発は東西に長く、東側の二子玉川公園まで駅から700m以上あり、人が歩いて遊びにゆくには限界があり、通 常の都市型公園では、夜には大変危険な空間になる可能性があります。動く歩道という構想もあるようですが、その先の川に賑わいの場をつくるためにも二子玉 川駅から公園まで、約1kmですが、明治40年渋谷まで砂利と人を運ぶために開通 した当初の玉電(玉川電気鉄道)を復活させ、東急電鉄のかっての古い電車を一堂に集め走らせる博物館にすることも一案です。駅を降りたら「電車の博物館」、そして、電車に乗って川に行ったら「舟運の博物館」で全体がすばらしい空間になると思います。

 

d) 大規模災害にも役立つ「せたがや湊」

阪神淡路大震災を論ずるまでもなく、道路が途絶し、落橋した内陸への緊急物資、建設資材の輸送には河川は大いに役立ち、消防艇を遡らせれば初期消火活動も可能となります。そのための水路、港湾施設の整備は重要で現在全国で緊急船着場の整備が進められています。世田谷区内に湊があれば、小さな舟しか入らないものであっても、道路が狭いこの地域にあっては、医薬品、食糧の輸送には大いに役立つと思っております。たとえば、武蔵工業大学のグランド(東急ゴルフ場)の前、二子玉 川東地区再発事業区域の東二子玉川公園(現東急自動車学校用地)の二個所に世田谷の港をつくることは、この付近の災害救助活動に大いに役立つものと考えられます。

ヨーロッパの内陸都市にはこのような機能を持った港がたくさんあります。しかし、我が国では行政が縦割りで堤内地に港をつくる場合には、水運と防災、公園の機能の複合化など、きめ細かな調整が必要になります。計画を総合化するためにはコンサルタントや行政の意識改革が前提となります。その結果 、今まで他の河川や下流部でつくられた単能的な物揚場よりはるかに景観や環境に配慮されたものができるでしょう。


5.新しい公共事業としての取り組み

(1) 川へのPFI(民間の経営力)の導入)と地元の新しい取組み  

この度の小渕内閣で、経済企画庁長官になった作家の堺屋太一氏は、就任後の記者会見で公共事業をどう考えるかという質問に対して「公共事業すべてが悪くない。要は国民がお金を落としてくれるようなインフラ整備をすることである。」と答えている。これはまさに、享保の改革で徳川吉宗が実践したことであり、私がここに提案している川を介して地元の人々が財布の紐をゆるめてくれる公共事業であります。  このような企画においても、国や自治体はある基盤まできっちり整備し、そこから民間活力を導入する必要があります。

a) 公園(港)のインフラや川の景観事業は国や自治体の事業
河川改修、公園の整備、道路の整備は国、東京都、世田谷区が行う。但し、管理運営に対する予算は受益者から負担を求めても良いかも知れません。

b) 賑わいのための収益事業は民間活力の導入と水辺プラザ事業
世田谷区の奥座敷になる屋形船、川宿、茶店などが公園に立地しますが、収益が上がるので民間で整備すべきであり、その計画について世田谷区は、方向性と質を示し、質の高い設備を事前にコンペなどで要求する事が不可欠になります。計画の中にこれらの施設配置はしておく必要があります。

c) 財源の明確化
博物館、ホールなどのハコモノは管理運営費が自治体の財源を圧迫しないように基金で運営するか、運営主体の責任を明確にしておく必要があります。川崎市側の「エコミュージアム」のように地域全体の空間を博物館にし、余りお金を掛けないで、市民が参加の手づくりの博物館、テーマパークにすることがこれからは必要であると思っております。ヨーロッパの博物館は川崎側で進められていると同じ思想で野外にその土地の歴史遺産を飾っているケースが多いのです。また、ハコモノでもボランティアで運営しています。ドイツのライン川やリューネブルクのイルメナウ川のように中世に活躍したクレンを、ハインリッヒェンブルク(ドルトムント・エムス運河)では古いリフトを、ミッテルランド運河のミンデンでは古い閘門ゲートをさりげなく飾っている。また、スウェーデンのヨータ運河のトロールヘッタン閘門の運河博物館、世界最大のリフトがあるリューネブルクの博物館でなどはボランティアによって運営され、建物も小さな掘立て小屋や鉄筋でも2階立てのごくありふれたものです。あまり、外装にお金を掛けていないようです。

 ライン川川岸にあるクレン

ミッテルランド運河ミンデン市の野外博物館のゲート  

d) ボランティアと官学共同研究の育成
 「せたがや湊」のために世田谷区が育てなければならないボランティア組織に、青少年に川とのつき合い方を教える(仮称)「多摩川クルーズ楽校」(カヌー、ゴムボート下りを指導)、舟運博物館と環境との調和を図りながら水路を維持する(仮称)「多摩川伝統工法ワークショップ」(地元の大学とボランティアで伝統工法を研究し、実践的な活動を行う)が考えられます。伝統工法による河川整備が、おそらく経験則に基くものである限り、実証的実験を行ってから本格的な整備に入ることになると思います。実証的段階では、ワークショップが、建設省、地元の意向を汲み取り、調査費、大学の協力で研究を行います、事業化の段階では建設省の事業で実施をします。  

e) コンサルタントの育成
 最終的には川と公園全体を風景として統合し、個々を指導し、都市と河川全体を調整し、情報発信するコンサルタントのような機関が必要であると考えられます。

f) 管理問題
 次に管理問題ですが、 子供の事故、ゴミ問題、不法係留問題については、教育から規制、罰則までトータルの対策が必要と考えられますが、自分達の川であるという意識を植え付け、安全や環境は個人が責任を持つ自己責任のとり方を学ばせるべきで、ボランティア活動が基本になっているようです。 水の事故については問題を避けて通ってきたわけはありませんが、国家賠償法の偏ったとはいわないまでも、自己責任を無視した判例が多かったために、河川管理者は人が川に入ることに消極的であったことは否めません。今後、川の365日に対応した積極的な取組みが要求され、子供のときからの社会教育が重要であり、北上川などで実践されている「水辺の楽校」、リバーマスター制度はロングレンジではあるが、参考になるよい試みであります。これもボランティア活動の実践が必要であります。  


■おわりに

本論はまったくの私論でありまして、今回急きょ、世田谷区の勉強会のために日頃思うところを、リバーシップの会の有志と相談して書き下ろしたまったくのアイデアで、関係方面 と調整をとらせて頂いたものではありません。今後、世田谷の舟運の実現に向けて微力ながら一歩一歩前へ進みたいと考えております。今後、多くの方々のご指導、ご協力を賜れれば幸いです。   

 

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