佐藤 亮 



その1 何かへんなこの鳥
その2 どうやら見えてきたウソの生態
その3  どうにも困ったその習性





その1 何かへんなこの鳥 

 鷽は鳥の名前でウソとよむ。ちょっと鶯の字に似ているが、読みにくいから今後はカナで書くことにしよう。あまり聞いたことのないこんなへんな鳥が東京の多摩川にいるはずはないと思うが、大きな川なので念のために鳥類図鑑で調べてみよう。「あとり科で、常時高山の針葉樹林に住み、冬は山裾に下りてくるが、人里には降りてこない」?やっぱりそうか。

  多分、どこに聞いても無駄だろうが、区役所の「みずとみどり課」という優雅な名前の部署に電話してみるとどうなるだろうか。「ウソねえ。聞いたことありませんねえ。」都庁の林務課鳥獣保護係とか建設省の河川管理局のなんとか課など、ちょっと怖そうなところだが、これも多分、「そんな鳥がいるんですか?」とそっけないだろう。そりゃあ当然だでもそれは確かにいる。多摩川はおろか、そういう皆さんのビルの谷間にも、この鳥は羽ばたいている。みなさんと探鳥してみようではありませんか。

  その昔、新田義貞の家来の由良兵庫助とかいう侍が川を渡ってきたところをだまし討ちにあい、あえない最期を遂げたのが多摩川の兵庫島だという。多摩川にはめずらしい島らしい島で、東西50メートル、南北20メートルぐらいかと思うが、全島にせアカシアにおおわれ、四季の花が絶えない。ちょっとした公園になっているのである。その北には野川がながれ、南は多摩川の本流である。雀、烏、きじ鳩、しじゅうから、ひよどり、かわせみは四季を通じて飛び交い、また季節々々には鴨、椋、はくせきれい、サギなどが訪れ、かもめが乱舞する。川には大きな鯉や小魚が無数に泳いでおり、冬には数百羽の川鵜の大群がきて、目の前で鵜飼いを只で演じて見せてくれる。これが東京都は思えないような光景だ・だがウソはまだ見つからない。



兵庫島公園


  実は毎日このへんを散策していると妙なことに気がつくのである。ある時、両側には水がとうとうと川が流れているというのに、島の木がばたばたと枯れた。立ち枯れである。真夏になぜか青桐の大木がさんざと落葉した。島のふもとの池を気味の悪い藻が埋め尽くし、悪臭が漂った。せせらぎに入った子供がつるりと滑って川底のコンクリートに頭を打ち怪我をした。せせらぎに土はなく、草も水草も一本も生えていない。そしてなぜか週に二三日しか水が流れない。せせらぎの横には看板があり、「履き物を履いて入ってください。」「この水は飲めません」などと書いてある。何か変である。

  もうすこし、島の様子を見てみよう。島の南には立派な池がある。一見京都の寺院に見られるような回遊式庭園であるが、どこから持ってきたのか堂々たる巨石が何百と惜しげもなくあしらわれており、相当な費用が投じられたにちがいない。だが、石は丸く、蓬莱庭園の風情はない。そのくせ多摩川ともまるで似合わない場違いな景色である。深山幽谷で造花の紅葉を見るようなものだ。悪臭の漂うのはこの池だ。島の中ほどにには「多摩川・ドナウ川友好河川記念碑」という石積みの背丈ほどの碑がある。ウィーンのデブリング区と姉妹都市提携をしているのだ。そのほか、牧水の詩碑、多摩川サミット記念碑、建設大臣野田毅の名を刻んだ手作り郷土賞碑など、やたらと碑がある。そして不思議なことは年に五、六回この池に起きる。

 ある日、池の水が抜かれ、鯉や小魚がアップアップしだした。それをねらってかもめ、サギ、川鵜などが地面をおおった。だれかが見かねて鯉をすくって本流に戻していたが、多くの魚や逃げ遅れていた。その翌日、池の周りにブルトーザーが4、5台北かと思うと、一斉に池に入り、池をさらい始めた。中には特殊装甲車のようなポンプ車も2台来ていた。作業員も10人はいただろう。作業は三日続いた。池の水は完全に干されて見違えるようにきれいになり、コンクリートの護岸と池の底が白い肌を見せた。池はすべてコンクリートと石で、どこを探しても土の肌はない。なんと、この池は完全なコンクリートの鍋になっているのである。多摩川と野川に挟まれ、自分も水を湛えながら、水と土は隔絶している。それでわかった。だから水草が生えることはなく、葦が茂ることもない。一週間も雨が降らないと、まわりの木が水を目の前に見ながら立ち枯れる。

  上流の二本のせせらぎはまた別の清掃会社が洗う。まず水を十分に干す。多摩川の本流と違って、このせせらぎはいつでもスイッチひとつで流れを止めることができる。水草も生えず、魚も泳いでいないからいつ止めてもよい。普段は大きなたわしでこするが、時にはサンドブラスとという高速の砂を吹き付けて川底のぬめりを取り除く。そうすると、コンクリートの川底が黒い肌を見せる。コンクリートには玉砂利がぎっしりと埋め込んであるが、それに黒い藻がべったりとこびりついている。それを取り除くのである。これが「手作り郷土賞」であり、碑文にある「生活の中にいきる水辺」の風景である。

  そこにウソはいた。手作りもウソならサミット宣言とやらもウソ、ドナウ提携も見せかけだ。あれにかこつけて何人かの議員がウィーンにいったのではないか、なにか臭う。いや、それはウソではなく、本気でやっているつもりなのだろう。おそらくこの公園を計画した人も、設計したひとも、管理している人も、まじめにやっているつもりなのだろう。だが、考えてみれば上野の不忍池や井の頭の池が日干しにされる話も、小川の川底まで磨かれるという話も聞いたことがない。どうもこのへんにウソが住みついているような気がする。そこで、もうすこしウソの生態を観察してみよう。

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その2 どうやら見えてきたウソの正体
  では、この池の水はどこからくるのか。当然多摩川だと思うだろうが実はそうではない。それは自慢の名水(?)をポンプで揚げているのである。だからこのせせらぎはスイッチを入れたときしか流れないのだ。そしてなぜかその名水は実は有機成分過剰でBOD(汚染度)の高い水なのである。すぐ横をきれいな多摩川が惜しげもなく流れているというのに、なぜポンプで汚水を流さなければならないのか。その訳はこうである。

  生活廃水で汚れた野川の水を浄化するために巨費を投じて多摩川とんほ合流点に浄化設備をつくった。礫間接触酸化法とかいう日本最新鋭の設備だそうだ。これは砂と砂利(礫)とバクテリアの作用で野川をきれいにするはずだと、関東地建のつくった説明版にそう説明されている。せせらぎはその水を流し、この優れた浄化能力を誇示するはずだった。だが、その砂も砂利もすぐ汚染して浄化能力をを失い、逆に汚物の溜まった礫層は汚水培養装置になってしまったようだ。自慢の名水は期待に反して汚水となった。それは明らかだ。その水を流す二本の人工せせらぎは真っ黒で、洗っても洗っても直ぐ気味の悪い黒い藻がセメントの表面にこびりつく。だから子どもが滑って転ぶ。水は一見清流のようだが、富栄養状態なのだ。その水が池に流れ込むとどうなるか。容易に想像できるように二三日も経つと、水面は異様な浮き藻で覆われる。やがて悪臭が漂い、魚が浮く。そこでまたまたブルトーザーの出番が来るというしくみなのだ。これを年に5.6回も繰り返す。いい仕事ではないか。これを請け負っているスルバー興業社のトラックには「きれいな多摩川」と、きれいな絵がかいてある。絵に描いた多摩川・・・である。

 多摩川の清流がとうとうと流れているすぐ横で、場違いな京都風の山水を、しかもたまり水の悪臭を嗅ぎながら鑑賞するとは、なんともまたおつなものである。池を造るのにうん億円、あの汚水浄化施設も十億円はくだらないだろう。そして、池の清掃だけで年間一億円を超すといううわさだ。しかもおまけがある。台風がくるとこの池は完全に水没し、流木などで埋まり、そしてもう一度清掃会社の世話になる。おかげで京都までいかなくても金閣寺、いや金掛寺の庭園を散策できる。よく考えてみると、結局は必死に税金を稼いだ私が、貴方が、これを作ったことになる。こんなもののためにあくせく稼いだつもりはないが、こうなりゃ意地でも、歯を食いしばってでも、優雅に鑑賞せざるをえないではないか。なんと優雅な日本なのだろう。くくくーー。

  ウソの生態が少し分かってきた。これはどうやら都会に住む鳥で、「ヤクショ科のゼイキン鳥」らしく、いたって穏和にみえるが餌を食い散らかす習性がある。外見に似ず、やってることは粗雑で浪費的だ。うっかりかまうとつつかれるので近づくのは危険だ。従って飼い鳥には向かないのだが、籠もなく半ば野放しで飼われている。いや、ウソは気位の高い鳥で、あちらが庶民を飼っていると思っているらしい。そして好物の税虫はいくらでもついばむことができる。では、もう少しこの島を巡って観察を続けよう。

 島だから橋を渡らないと行けないのは言うまでもない。世田谷側から渡るその兵庫橋は、昔は手摺もない小さな橋で危険だった。人も大勢通るようになり、橋を架け直したのは当然である。その橋がまた芸術味豊かなデザインだった。吊り橋に似せたその手摺は、わざわざガタガタに揺れる仕掛けに設計されていて、その橋柱の間を三本のロープを垂らして結んだものであった。もちろん子どもはロープをすり抜けてしまうし、うっかりさわるとぐらっときてあわや転落という谷間のスリルを味わえた。それが設計のねらいだったのだろうか。しかしそれを渡るのは重装備のアルピニストではなく、親子連れ、アベックさん、爺さん婆さんである。当然危険だ。そこで名案が考えられた。「手摺に触るな」と札がぶるさがったのであす。手摺の字は手摺らずと読むらしいと知った。棚にものを乗せるな、落石危険、と似たようなものだが、ついでに「この橋、鑑賞用」とすればよかったのに。

 この芸術橋はその後また立て替えられて今の橋になった。橋を渡ると兵庫島の土手が見える。だが登り口がない。そこで、けもの道ではないが人の踏みつけた道が自然とできる。そして登ってみると実はとんでもないところに立派な登り道があることに気がつくのである。誰もそこを上り降りした形跡はなく、草が生えている。よく見ると芝生の中にも人が踏み潰してできた道がたくさんあり、せっかく作った道からは外れている。デザインして金をかけた道はまるで方向が逆らっているので通りにくいのだ。おまけに池とせせらぎに架かる小さな橋は雨も降らないのになぜかいつも水浸しで渡れない。きっと、この数億円の公園のデザインを任された人は芸術的才能豊かな人なのだろう。ヨサン印の絵の具は使い放題だ。しかも、そのあとどうなっているかを確かめにもきていない。いや、もし来ているならその目は節穴、いやウソだから鳥目だとしか言いようがない。さあて、ウソの生態もいよいよ核心に入ってきた。

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その3 どうにも困ったその習性
 よく見るとウソの飛ぶテリトリーは年々拡大している。それとともに決して無視できない量の税虫をついばむようにもなった。そしてもっとも悩ましいのは、ウソは温和で善良な鳥らしく見えるということである。みどり、花、公園、池、区民の憩い、鳥の楽園、海外との親睦交流、小川のせせらぎ、手作りふるさと、それはそれはきらびやかなうたい文句に不足はない。うっかりしようなら「あなたは緑に反対ですか」「安らぎのせせらぎが悪いのですか」とやられそうだ。多摩川流域協議会の名のサミット宣言にはこう書いてある。「われわれは、多摩川と生きる。多摩川に住んでいる。多摩川に親しんでいる。多摩川と歩んでいる」なにか格好はいい。そういえばこれまでのウソの鳴き声にふれなかった。「ケッコー、ビューティフルルル、ケッコー、ビューティフルルル」と、声高に美しい声で鳴く。イベント、モニュメント、業績、そういうことに敏感な人はとくにウソの鳴き声を愛する。緑の小道、ふるさと道標、民家園、郷土館、せせらぎ、やすらぎの園と、やたらと何かが競ってできる。一見、税金のもっともいい使い方に見えるのがみそだ。

  ウソの飛び方も観察しよう。ウソはあちらからこちらへとすばらしい速さで飛ぶ。「ああ、あの河川敷ね。あそこは区ではありません。建設省から借りているんですよ。」「建設省は直接管理していません。河川事務局へ聞いてください。」「河川事務所は上の指示でやっているんです。」「迷鳥ですって。それは○○鳥獣店に委託していますので」「交番には河川の警察権は及びません」。かくして最後はウソの行方を見失ってしまう。結構うまい飛び方をするが、悪気があってやっているわけでもない。要するに困った習性なのだ。じつはこれは怪我をした小サギが迷い込んできたときの話である。

 或る晩、雷雨を伴う猛烈な台風が島を襲った。明くる朝みてみると、にせアカシアが三本倒れ、一本の欅の木が避雷して割けていた。島に二本しかない街灯はショックで黒こげになった。それでも欅はけなげに生きていた。倒れかけたにせアカシアもまだ葉に勢いがあった。この木は根が浅いので土盛りをしてやらなければすぐ倒れる。だが、起こして突っかい棒をしてやればまだ蘇生したはずだ。なぜかその生々しい木は、これまでにない迅速さで根元から処刑された。となりの松の老木もなぜかついでにやられた。一本切るとうん十万になるとの話である。ウソはこういうときは以外と敏捷だ。だが、一方、街灯はまだ何ヶ月も消えたままだ。

 兵庫島近辺には広大な河川敷があって、運動施設などになっている。或る朝、底を横切って散策していると、若い係員に呼び止められた。彼は十メートルくらい先から「あなたは何を履いているの」という。靴を上げて見せてやったら「ああ、ゴム底か、まあいい」と行ってしまった。私は戦争中の怖い時代を思い出した。私は憲兵の「おい、こら」を知っている世代である。この辺にはたくさんの看板が出ていて自動車・バイクの乗り入れ・ゴルフ・ラジコン・バーベキュー、その他施設の無断使用は禁止とある。禁止と書いてなくても散歩している人の靴底まで干渉する。ここでできることは、かれら管理者と称する部族が決めたことだけなのである。許可を受けたサッカー、テニス、野球、「多摩川を愛する集い」などのイベントの参加などである。税金稼ぎに追われて施設の利用もできず、イベントに参加することもない庶民はうっかり散歩さえできない。とにかく禁止は大好きだ。いうなればこれも庶民層まで浸透した規制と認可行政なのである。

  川沿いに鉄柵が張られるのは実はこの河川敷で花火大会が開かれる前後のことである。一月も前から鉄柵をはりめぐらせて公園を閉鎖し、そしてなぜか島に入る手前の堤防の階段を板で覆う。まずコンクリートで段を作った。と思ったら妙なことが始まった。その段を杉材で覆いだしたのである。どうやらまた芸術のつもりらしいのである。滑り止めもないから目がちかちかして危険だし、それに杉では柔でどうしようもない。と、できるかできないかの日に、RVとかいう戦車みたいな車が来て、その階段を上りだしたのである。いうまでもなくバリバリと無惨に壊れた。いまはそのぼろぼろになった段を上り降りしている。そして不思議なことに、花火の頃になると、その上にまた板をかぶせるのである。コンクリート、杉材、杉板の三重構造である。もちろん金も三重に払っているはずだ。その方が安全なのだという。そうだろうか。ではわざわざ危険な段を作ったのだろうか。管内の映画館やデパートの階段は杉板で覆うのだろうか。

  ウソの生態はだいぶわかってきた。だが、観察はもっと公平でなければならない。ウソは一種ではないのである。河原にはバーベキュー禁止の看板が出ているが、それは割られてバーベキューの燃料にされてしまった。よく見ると生の立木が沢山折れている。バーベキューの連中が燃料にしようと思ったが、木の必死の抵抗にあい、あきらめた跡である。景色のいいところで食事をとしゃれ込んだ人が何故その河川をこうも汚すのだろう。缶、ビン、箱は置き去り、作ったかまどは真っ黒で廃墟のよう、ボンベや焼き網は川へドブン、である。こんな例はほかにも際限がない。島の斜面をモトクロスで駆け巡るやつ、夜中まで花火を揚げるやつ、投網で魚を根こそぎ捕るやつ、中古自転車を川に抛り込むやつ、まったく最低だと・・・釣り糸で足を切られた鳩はそれを嘆いている。

 毎年、大学生のボランティアが川を掃除しに来てくれるが、なんと、あの狭く浅い野川かわ自転車が十台くらい、洗濯機、冷蔵庫、道路標識のコーン、鉄パイプ、金網、ゴルフバッグ、ベッド、エアコン・・・それはそれは不思議なものが次々に拾い出されて山となるのである。もっとも厄介なのは落書きで、あの醜悪な絵は容易に消えない。こういう鳥類は図鑑では「ウソB亜科黒サギもどき」とある。白さぎと違って典雅なところはなく、教養に欠け、ときに粗野粗暴である。B亜科は通常BAKAと続けてよぶ。

 だれも法律を犯してはいない。誰も人を傷つけてはいない。誰も悪いことをしようとは思っていない。鳥は一見美しい。しかし、それは目立たず気づかず意識せずに、静かに静かに何十億円の無駄を重ね、社会を歪め、救いようのない日本へと転落していく。もし日本のそこら中にウソが住んでいるとすれば、それは膨大な無駄になる。都会に珍しい鳥が住むことはいい。しかし、ウソは人里に下りてくると害をもたらす。やはり山の頂上の方が幸せなのではないか。

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