南仏運河クルーズ航海記     

-ミディ運河、ローヌ・セート運河・プティ・ローヌ編-

期間:2000年5月19日〜27日(9日間)

主催:ヨーロッパ運河クルーズの旅実行委員会
   日本の水辺と運河を考える会
   多摩川・リバーシップの会
   水環境ネット東北

 

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・はじめに
・2000年度運河クルーズと水辺の旅の概要
・第1日目 5月20日 (土) ポート・カサフィエール 〜 アグダ
・第2日目 5月21日 (日) アグダーパラヴァス・ル・フロ
・第3日目 5月22日 (月) パラヴァス・ル・フロからサン・ジルへ
・第4日目 5月23日 (火) サンジルからボケール
・第5日目 5月24日 (水)  船の返却・アルル
・第6日目 5月25日 (木) リール・シュル・ラ・ソルグのバスツアー
・第7日目 5月26日 (金) マルセイユ 〜 エクス-アン-プロヴァンス

 

 

・はじめに

 「日本の水辺と運河を考える会」は6年余にわたって、ヨーロッパの運河の実態、日本にはない美しい水辺やリフト、インクラインなど新技術を紹介し続け、その多くの成果 が、関係方面で有意義に使われ、荒川、淀川、北上川などの河川で舟運の新しい展開に寄与してきました。  そして、1999年からは、「多摩川・リバーシップの会」や「水環境ネット東北」の参加を得て、運河クルーズに挑戦し、南仏ミディ運河で船を操ることを実際に経験しながら、舟運とは何かを多くの人に交流をしながら体験して戴くことを始めました。2000年は5月19日から28日までの10日間、日本の運河・水路を今後考える上で参考になる南仏のミディ運河、ローヌ・セート運河並びにプロヴァンス、ラングドック地方の水辺探訪と調査研究を行なっています。
 このレポートは、そのとき参加したメンバー全員で協力してつくった報告書「ヨーロッパ運河クルーズの旅 U」の要約で、行程を中心に紹介させて戴きました。  その他、日本の河川,運河と訪れた運河、河川の違い、制度の比較検討、景観をつくる際に参考になる事柄、レジャーボートの免許制度の違い、運河と外洋との操船技術の違い、マリーナの考え方の違い、自然を活かした護岸構造物の考え方、環境面 での考え方の違い、水辺景観設計上の課題、ヨーロッパでの運河の遊び方など盛りだくさんまをまとめました。

 

・2000年度運河クルーズと水辺の旅の概要

 今回で5回目になる運河の旅、2000年度は5月19日から28日までの10日間、3隻のプレジャー・ボートに分乗して、トゥールーズ付近を大西洋と地中海の分水嶺とする大陸横断運河ミディ運河の終点に近いポート・カサフィエール港から東に向かい、フランス第2の川ローヌ川によって造られたデルタ地帯の大小無数の湖と広大な湿地帯を貫くローヌ-セート運河とローヌ川の支流プティ・ローヌ川に至る低湿地を5日間にわたり約200キロの船の旅とバスによる調査を実施しました。
 このコースは、前半ラングドック州のベジエ近くのポート・カサフィエールからミディ運河を東に向かい、タウ湖を経て、ローヌ・セート運河に入るフランスで最も人気のある地中海沿岸の内陸水路の旅であります。ローヌ・セート運河の後半はプロヴァンス州に入り、ローヌ川河口のプティ・ローヌ川、カマルグ湿地帯、アルルからフォス湾のブーク港に通 ずるアルル-ブーク運河、さらに、ブークからべレ湖を経て、マルセイユに至る世界一で一番長い7キロのローブ運河トンネルを通 るマルセイユ-ローヌ運河も視察しました。船は3隻チャーターしてコンボイで進み、各分野に分かれて調査を行ないました。
 参加者は、運輸省、建設省、リバーフロント整備センター、港湾空港建設技術サービスセンター、臨海開発研究センター、日本内航海運組合総連合会、多摩川リバーシップの会、水ネット東北の関係者などあわせて21名が参加しました。

・第1日目 5月20日 (土) ポート・カサフィエール 〜 アグダ

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モンペリエのスーパーで買出し

■乗船準備 食糧、必需品の調達

 5月20日空港についてすぐに モンペリエで食糧等の買出しを全員でおこなった クルーズの食糧、必需品の調達は大切な仕事、船は水と油しかない、二十余名の胃袋はこの作業に懸かっている。市郊外のスーパー・マーケットに全員で立寄る。この超大型マーケットでは、日常生活に必要なものは何でも揃えることができる.食糧、嗜好品、必需品、地図、などをここで買い入れた。

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基地港で参加者全員で記念撮影

■運河基地港 ポート・カサフィエールでの教習

 ミディ運河ではこの港は、クルーズ船のレンタル会社クラウン・ブルーラインの基地である。この会社のテリトリーは、ミディ運河、ローヌ-セート運河とプティ・ローヌである。  ここで、今回のクルーズ船3隻、CRUSADER(船長・長野)、CHALLENGER 5(船長・山田)、CHALLENGER 7(船長・辺見)を受取り、各船の船長を各氏が勤めることになった。インストラクターから船内の設備、機器の説明、操船の方法などの簡単な説明を聞いた後、各船長は免許を貰い、港周辺で航行の実習を受け、これでOK。そして、皆で記念撮影を行い午後5時出発。まだ、日は高い。

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先導艇、プラタナスの並木で蛇行

 

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うまく操船ができ、まずは乾杯

■ミディ運河の航行 プラタナスの並木での蛇行運転

 ミディ運河の両岸はプラタナスの巨木の並木が続き、並木の根が運河にはみ出して護岸の役目を果 たしており、水際には可憐な黄色いアマリリスが色を添えている。並木の緑と空の青が水面 に写って、さながら一幅の絵を見ているような美しさである。操舵が難しく、先頭の船はあやうく岸に衝突しそうになった。
 元海技免除試験官の米山氏や、小型1級の免除をもち、クルーザを運航されている乃美氏に伺ったところによると、船が平底で舵の遊び(舵輪の空回り部分)が非常に大きいく、舵中央の位 置がなかなかつかめない。そのため舵の効き具合がつかめず、また、舵の効き方が遅いので、つい舵を必要以上にいっぱいに切ってしまう。舵をいっぱいに切るので、効き始めると舵は大きく効いてボートは大きく曲がる。あわてて舵を逆に切るのだが、つい大きく切るので、ボートは今度は反対方向に大きく曲がる。このようにして蛇行の繰り返しとなる。
 又、航行区域も海上の操船とは大きく違っている。橋脚の間、狭い間隔の地点の通 過は経験がないため慣れてくれば問題なくなるものの、最初は苦労したという。

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リブロン川洪水制御水門
川と平面交差するための特殊な水門
 約3キロほどゆくと、リブロン川と平面交差するための特殊な構造物がある。洪水制御水門である。この辺は周囲が田園の低い所で、跨川橋(川を跨ぐための低い運河の橋)を造ることができないので、リブロン川が増水したときは、運河と交差するが開かれ、水流は木製の床を流れ、運河側には止水ゲートが水門下りるようにしたもの。  リケ(ミディ運河の建設者)が建設し、ボーヴァン(ルイ14世時代のフランス軍の土木建築家)が改良したもので、日本は、当時、江戸時代、このような技術はなかった。1858年に機械化されたが、当時のシステムをそのまま残している。
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基地港で参加者全員で記念撮影
円形ロック
  午後6時半頃、円形ロック手前に到着。このロックから先は適当な係留場所がないとの判断で、本日の航行はここで打切り。初日は長旅で疲れているこを考慮して予約しておいたホテルに無事到着。今回のクルーズで最初に通 過するロック。翌日、乗船後すぐ円形ロックに入る。今回始めてのロックの通過である。  このロックは、そのままタウ湖の方にも、アグダのの方にも、そして、ベジエにもどちらにも出られるように、ターンテーブルのように働くよう円形に造られている。しかし、現在、アグダへのゲートは出られない。しかも、このロックは近代化工事により、短い円形になったり、ロックの壁が石からセメントに変わったりして、昔のものより魅力が無くなった

 

・第2日目 5月21日 (日) アグダーパラヴァス・ル・フロ

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アグダ岬のマリーナ

アグダの街
 この街は元来ギリシャの貿易港として繁栄し、ブルボン朝時代(16〜18世紀)にはフランスの軍港として使われたが、その後港が埋まってしまい、今では歴史の町の一つになった。サン‐エティエンヌ大聖堂、古代遺跡、博物館等がある。海岸のアグダ岬付近では近代的な海浜リゾートになっている。我々のホテルは地中海に面 したリゾート地の真中にある。

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ミディ運河の起点オングルの港

オングルの港
 船はアグダの円形ロック、開いたままのプラドゥ・ロックを通り、最後のバニアス・ロックを抜けて約5 キロ、タウ湖の入口のオングルの灯台を通過する。今回ミディ運河の航行距離はわずか20キロであったが,大きくその風景を変える。汽水の影響を受け、プラタナスの並木が消え、潅木の茂みが続く風景が始まる、灯台の手前のオングルの港町が見えてくる。  左岸の大きな家から美しい女性達が、我々の船出を手を振って送ってくれた。かって繁栄した港の面 影が少し見受けられる荒れ果てた街である。

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タウ湖のヨットと寮艇(後方)

タウ湖
 ミディ運河の終点オングル灯台を通過し、眼前には一瞬海に出たのかと勘違いしてしまったタウ湖に入る。タウ湖の横断に要する距離はこの湖は東西に細長い。西端のオングル 〜 東端のセートまで約18 キロ。湖の北側は牡蠣棚が続いている。航路は広々しているが、当日はやや風が強く、保針にかなり苦労した。この湖は霞ケ浦のように水深が浅い。  また、湖面北側には広大な牡蠣棚あり、ある水域を出てしまうと座礁する。地中海からの風が強い。風は我々の船を牡蠣棚の方へ、牡蠣棚の方へと押し流す。そんな素人(しかも初心者)目には恐ろしい状況の中、日本ならば、丁寧にブイや標識があるが、目印になるようなブイなどは見当たらない。こう広くては地図を見ても目印がわからない。オングル灯台から北東の位 置を目指すのだが、風であっという間に船は北の方角を向いてしまう。一号艇は風を考慮に入れて東へまず進路を取り、いっきに目的地に。三号艇は、地図と3本の割り箸で六分儀をつくり、山や町の位 置から自艇の位置を出しながら、あて舵で真っ直ぐ進んだ。広い湖で3隻ばらばらで進んだ。水は青く、浅い場所では湖底の様子も伺うことができた。水深が浅くフェッチも短いため、波高も小さいのであろう、湖の岸には日本のような護岸はない。

 

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水路を隔てて湖と街がある風景
■ローヌ・セート運河を行く

ローヌ・セート運河の風景
 セートからグラン・モットまでは、海岸線に沿った幾つかの湖の中を行く水路で、両岸は護岸の石と盛り土で造られ、ミディ運河のプラタナスの巨木の並木に較べてやや物足りない感じがするが、その代り、一面 の湖と空の広さがわれわれの心を弾ませてくれる。

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港での車座で全員の昼食
フロンティニアン
 セート港のローヌ・セート運河入りは緑の灯台を目掛けて行けばすぐに分る。これを入って約5 キロでフロンティニアンに着く。フロンティニアンには運河に架かる低い橋があって、通 常の日は午前9時、午後1時、午後4時半の 3回、祝祭日は午前9時、午後5時の2回しか開かない。当日は日曜日、12時頃ここに着いて5時に橋が開くまでの時間を利用して、昼食後、専用バスでこの辺り一帯の海浜リゾート地を見学することにしていた。  まずは食事、係留した岸壁にシートを敷いて、船内で調理した昼食を21人全員で取る。うどん、ラタトゥーユ、トマト、チーズ、漬物、他。加藤さんが中心となり、クルーセーダーにて調理。うどんは日本から持ってきたもの。岸壁にブルーシートを敷いて食事をとる。突然始まったパーティに通 り行くフランス人もびっくり。その後、専用バスでカルノン、グラン‐モットの海浜リゾートを視察し、午後4時船に戻った。
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出航準備
グラン・モット
 フランス最大のマリーナがあるグラン・モットを訪問。  国土開発事業によって生まれた1350haの敷地にオフシーズンでも6500人が居住し、シーズンには13万人が訪問する一大リゾート地である。大小1400隻収容できるマリーナ、砂浜、パブリック・ゴルフコース、テニスコート、海浜療養センター、カジノなど、すべてが揃っている。マリーナの係船料は大きいクルーザーで日本円換算で年額22万円、小型ヨットが16万円程で日本の半分程度。また、魅力的な庭園、芝生、15 キロの  遊歩道とピラミッド型のアパートメントなど見るべきものが沢山ある。
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上手になったよ 
グラン・モット
パラヴァス・ル・フロ  そして、午後5時に橋が上がり、パラヴァス・ル・フロまで船を進めた。パラヴァス・ル・フロのヨット・ハーバーに到着したが、あたりはまだ明るく、港外の湿地帯にフラミンゴの群れなどが散見された。単調な水路が続く。このヨット・ハーバーは1991年に造られ、"ポール・リケ"(ミディ運河の創建者)と名付けられたモニュメントが建てられている。家族を楽しませるものが沢山あるエキサイティングな町。  記念碑の前の集会所のようなところを借りて夕食の宴会。今日は一同打ち解けて、ワインとともに談論風発。東北の民謡なども飛び出して多いに盛り上がった。宴とともに港一帯は夕闇に包まれ、プラネタリウムを見るような星空の中を船に戻った。運河はパラヴァス・ル・フロでレッツ川と平面 で交差しているが、ここにはレッツ川の増水時、運河に溢れないようにするための特殊な水門がある。また、この川は約30 キロ 上流のモンペリエまで運河化されている。

・第3日目 5月22日 (月)パラヴァス・ル・フロからサン・ジルへ 

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日の出の出航―湿原をゆく

ローヌ川河口の湿原をゆく

 パラヴァス‐ル・フロを出港。海岸線に沿って続いている湖に造られた運河を通 って、全天を覆う朝焼けの中一路東へ。進むにしたがって見る見る太陽が昇って、眼前に大きな湖の輝く青と、点在する陸地の緑が広がってくる。
 この辺りからグラン・モットまでは湖の中を行く水路で、両岸は護岸の石と盛り土で造られている。 運河はグラン・モットを過ぎると大きく海から離れて平原の中を進む。この辺りまではラングドック州に属するが、エ・グ・モルトの手前からラングドック州からプロヴァンス州に入る。2000年前は海岸であったこの町は、ローヌ川の押し出す砂で中世には海岸から数キロも離れ、18世紀前半、河口に建設されたサン・ルイ灯台も、現在は海岸から数キロ 離れたところに立っている。ローヌ川のデルタの営みは雄大である。運河は湿地帯の湖沼を貫くように運河は走っている。

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エーグ・モルトの港と塔

エーグ・モルト港
 午前8時半、エーグ・モルト着。港の奥は地中海のヨット・ハーバーで、船が一杯で係船場所を捜すのにひと苦労。やっと僅かな隙間を見つけて無理やり船を繋ぐ。この町には、現在も驚くほどよく中世の面 影が残されている。港のすぐ後ろには550 m×300 mの長方形の城壁が街を囲んでいる。約1時間城内を視察の後、一路運河を東に向かう。     エーグ・モルトの港には低い回転する鉄道橋があり、列車の通過の場合は航路が閉鎖されるが、 幸い出発の際は船が通過できる状態になったので、航行しながら昼食を取る。

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エーグ・モルトの塔と運河
この地中海の要塞都市は、1240年、十字軍の出発地としてルイ王朝のサン・ルイ9世によって建設されたが、今日の海岸線はいくつもの塩湖の先、湿原の果 てに後退し、城壁に囲まれた町は、後世エグモルトの塔と運河"死んだ水"の中にあるとして、エーグ・モルト(死んだ水)と呼ばれるようになった。
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ガリシアンの港

ガリシアンでの寄り道  エーグ・モルトから先は、運河はカマルグ湿原をサン・ジルへ向けて、一面 の湖水と平原の中を進む。われわれがガリシアンの泊地を通過するとき、碇泊している船にこの辺にワイナリーはないかと尋ねたところ、歩いて10分位 ときいたので、先行する1号艇の有志がそこに向かう。 

 着いてみると典型的なワイン農家で、主人がいろいろなワインを試飲させてくれる。新鮮で美味しいことはいうまでもないが、値段の安さにびっくり。各船の飲料のほか、土産用も含めて大量 に購入。主人が港まで車で送ってくれた。またこの町には、ニーム・ブドウ園のワインを賞味できる協同の売店がある。ブドウ畑は、この辺からこの運河の終点ボケールにかけての、谷間の多い南斜面 に設けられ、フルーティなワインに仕上げられている。赤は最高に評判がよいが、ロゼも白も造られている。

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カマルグ湿原と白馬
カマルグ湿原
 東側はローヌ川、西側はその支流のプティ・ローヌ川、南を地中海に囲まれた広大なカマルグ平原は、面 積約800平方キロメートル。中央にヴァッカレス湿原地帯が広がる、フランスで人気のある名所の一つである。  カマルグ平原地帯は沼地や湿地、潟や砂地でできているが、流水は塩分を含んでいる。しかし、米作は可能で、水田面 積は2万ヘクタールに及んでいる。またこの平原は殆ど起伏がなく、最高で海抜4.5 m、一番低いヴァッカレスの沼地は海抜マイナス1.5 mである。  冬季に幾つかの砂丘が点在する広大な湿地帯であるが、夏季には乾いた塩辛い砂浜になる。しかし、この地域最大級の湖―ヴァッカレス湖付近だけはその水が枯れることはないという。  植物と動物の種類も大変多く、1928年、フランス国立自然保護協会が、ヴァッカレスの沼沢地に自然保護地域を設けて狩猟や植物の収集を完全に禁止し、その結果 、約400種類の動物が棲息しており、渡りをする動物の休憩地点としてヨーロッパ最大級のものである。
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サイクリングとフラミンゴ
 中でも北アフリカから飛来するピンク・フラミンゴの舞う光景は感動的である。しかし、この大平原を代表する動物はカマルグ牛と、カマルグ白馬であろう。この自然保護区の周辺で見られる産業は、製塩、カマルグ馬の飼育と米の栽培である。われわれは、サンクチャリーの中を船を進めているが、日本の荒川や利根川でもこのような鳥や動物がいる川での舟遊びを実現させたいものである。

 

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近代的なサンジル・ロック

■プティ・ローヌ川からボケールへと

サン‐ジル・ロック
 船は、カマルグ湿原の北側を回って午後3時頃、プティ・ローヌへのジョイント運河の入口に達する。案内書には、プティ・ローヌは初心者にはむずかしくお薦めできないとあったので、前日の打合せでは、とにかくサン‐ジル・ロックを通 過して見て、行けるようであればアルルに向かうことにしていた。分岐点を右に進んでジョイント運河に入り、約1キロでサン-ジル・ロックに着く。

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サン・ジル・ロックでの綱取り
 この新型のロックは、新しいヨーロッパの基準サイズの200 m×12 m型で、完全自動である。気象条件によって上下の水位 差がかなり異なり、冬期における最大の水位差は約2.5 m、最小は50 cmという。
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プティ・ローヌをゆく
プティ・ローヌ川
 サン‐ジル・ロックを午後3時頃抜けて、ローヌに向かって進む。この水路はローヌ川の分流で、かなり流れがあり、両岸に砂州はなく、樹木が岸辺までうっそうと繁っている。航路は自然水路で、航行には十分注意しなければならない。  アルルに向かう上流には、水路の両側にブイ(標柱)が設置されている。案内書どおり進行方向の左に赤いブイを、右に黒いブイを見て真直ぐに進む。水路の幅は運河と較べてかなり広いので、水路の外には出ないように運転すれば、水深は十分あり、楽に航行できる。但し、巨大な流木が標柱や水底にひっかかているので、近寄らないないように注意することが必要。
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鬱蒼と繁った森が岸辺に
サン・ジルの町
 この町はいろいろな伝説のある古い都市であるが、運河ができたことにより、ワインの積み出し港・近世から発展した。ここは、最後に船を返すことになるクラウン・ブルー・ラインの基地がある港でもある。

・第4日目 5月23日 (火) サンジルからボケール

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厨房で働く加藤シェフ

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ルーフ・デッキでの楽しい朝食

豪華な朝食
 朝と昼はいつも船の厨房でつくった豪華な食事、サン・ジルの朝食は、とくに豪華。2隻の船のルーフ・デッキで全員集まって食べる。メニューは、おかゆ、中華風タマゴ、木耳、トマト炒め、ウインナーとザワークラウト、鶏・ピーマン・ナス炒め、ズッキーニ梅和え、ピーマンのおひたし、オシンコ、梅干、ヨーグルト、果 物など。  船の食事は加藤シェフを中心に半澤、辺見、畑山さんの4名の女性が が担当、毎日のよい食事、これが一日の力の源になり、一人も病人が出なかった理由でもある。
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追いついた銀輪部隊
サイクリング部隊の活躍            若い人たち9人は、船搭載の自転車で、運河に沿って陸路ヌリギィエ・ロックに行く。サン・ジルから運河に沿ってサイクリング道路がつくられているが、これはその昔、船を陸から人や馬で引いた道トウイング・パス名残りとか。運河クルーズの船とママチャリ自転車との20キロの距離の競争は、興味ある実験でもあった。サン・ジルからボケールまでは、ほぼ直線的に運河の道があるが、自転車隊はスタートで道を間違い、船だけが淡々と進む。  両岸には菩提樹、ポプラなどが緑を沿えてくれているが、何れもまだ若く、その後方はぶどう、野菜などの田園が続いている。標識も何もないので、何処を走っているのかは橋だけが頼り。10キロ程走ったところ、突然サイクリングの面 々が脇道から現れた。元気に先頭をきっている一団、後からあえぎあえぎ付いてくる人達。互いに船と陸で和やかに手を振り、声を掛け合う。
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ヌリギィエ・ロックを通過
 ヌリギィエ・ロックには一部脱落者はあったが、銀輪部隊が先に到着した。このロックは落差約4mの新型のロックで、すべてセルフ・サーヴィスで 動かさなければならない。 操作はマニアル通 りにやれば簡単であった。 ヌリギィエ・ロックには一部脱落者はあったが、銀輪部隊が先に到着した。このロックは落差約4mの新型のロックで、すべてセルフ・サーヴィスで 動かさなければならない。 操作はマニアル通 りにやれば簡単であった。
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ボケールの港町
ローヌ川沿い最大の港町ボケール
 ヌリギィエ・ロックから約6キロ、セート・ローヌ運河の東の港ボケールが近ずくと、左岸にセメント・プラントが見えてくる。この運河で始めて見る大きなプラントであった。そこから約2キロ終点ボケール港に到着。運河はここでローヌ川に繋がっているが、運河専用のボートはローヌ川に出ることはできない。しかし、港はこの運河では最も大きく、沢山のボートで賑わっていた。
 ボケールは、古代ローマの殖民都市の跡に立てられた町で、フランク王国メロヴィング朝(481〜 ボケールの港全体から商人がやってくる大きな交易場となった。ミディ運河、ローヌ・セート運河を通 じて沢山の交易船が訪れるようになると、市場は数多くの人々で賑わったという。運河とローヌ川によって栄えた町である。
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ポン・ドュ・ガール

■プロヴァンスの水辺 ポン・ドュ・ガールの遺跡  ボケールの港の奥に船を繋ぎ、バスでニームとポン・ドュ・ガールを見学した。 ポン・ドュ・ガールとはガール川の橋という意味で、ローマ人が造った水道橋である。水道橋としては世界最大級の規模の建造物で世界遺産にも指定された建物である。 その規模は
高さ      40 m
長さ 下段  142 m  アーチ  6    
   中段  242 m  アーチ  12    
   上段   275 m  アーチ  35  

現在は橋の修理と並行して、付近一帯を近代的な公園にする工事が進められている。2段目の橋には修理用の機械が据えられて、いささか興冷めであった。それ以上にガイドが盛んにそのことを嘆いていたのが印象的であった。

 

・第5日目 5月24日 (水)  船の返却・アルル

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多摩川・荒川の長野艇のメンバー
船の返却  午前8時30分、ボケール出港。昨日の運河を引き返し午前11時サンジル港着、港のクラウン・ブルー・ラインの基地で返船。バラソル2本紛失、小物(モップ1、ワイングラス)破損届出。今回のクルージングは結果 的にかなりきついスケジュールになったが、一人の怪我人もなく、また水に落ちた者も皆無であった。一同それぞれの船をバックに記念撮影の後、船に名残を惜しみつつ専用バスでアルルに向かった。
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ゴッホの跳ね橋
アルル・ブーク運河のゴッホの跳ね橋
 アルルのローヌ川東岸から、フォス湾のブーク港に通ずるアルル・ブーク運河がある。われわれは午後バスでこの運河のヴァン・ゴッホ橋 Pont Van-Goghを訪れた。この跳ね橋の風景は世界の水辺の風景を代表するもので、ロックーキーパーの家と跳ね橋の全体のプロポーションは、さすがというべきものがある。しかし、運河の規模は、歴史的に古い運河であり、ローヌ・セート運河に較べて遥かに小さく、橋に隣接して造られているロックも扉が木製であった。現在ではかなり小型のレジャー・ボートしか使えないと感じた。

・第6日 5月25日 (木) リール・シュル・ラ・ソルグのバスツアー

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リール・シュル・ラ・ソルグの水辺
 この日はバスで、ローヌ川河口デルタにあるサント・マリー・デ・ラ・メールの町、アヴィニョンの法王庁、サン・ベネゼ橋から南仏のベニスと言われているリール・シュル・ラ・ソルグに最後に訪れ、マルセイユに向かった。 リール・シュル・ラ・ソルグ  このリール・シュル・ラ・ソルグという町はデュランス川の支流「ソルグ川に浮かぶ島」という名前どおり、中州の町で、街の中の至るところに清冽な水が流れる水路があり、かって紙漉きで使われた幾つもの水車が回っている風景の町である。さしづめ、日本でいうならば、筑後吉井、津和野、遠野のような町である。

・第7日目 5月26日 (金) マルセイユ 〜 エクス-アン-プロヴァンス

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ローブ運河トンネルの入口
マルセイユ港とローブ運河トンネル
 完全にマリーナ化された旧港に変わって、マルセイユの新しい港は旧港の右をマルセイユ湾に沿って、フェリー埠頭、コンテナ専用埠頭、一般 埠頭の順で長くのびており、その先が運河トンネルでは7キロという世界一の長さのローブ運河トンネルの入口がある。
 マルセイユの港を視察しながら、ローブ運河トンネルの入口を訪れる。現在はトンネル内の落盤の影響で使われていないが、とにかく世界一長い運河トンネルである。入口付近は私有地になっていて、直接運河の入口に近付くことはできない。
 南仏の一週間の旅であったが、日本ではできない運河の旅、見たこともない風景、構造物、そして楽しい交流など21名のメンバーは貴重な経験をすることが出できた。