夏の多摩川下り報告
「御岳から狛江まで2001」 ログブック

-船で遊べる川への挑戦-





8/17(金 奥多摩の特訓(先遣別働隊)
8/27(金)夜 全員集合 夜中のアツアツ・キムチ鍋
8/18(土) 奥多摩〜青梅市川辺「市民球技場」
8/19(日)
 青梅市・川辺〜福生市・北田園の多摩橋で上陸
8/20(月)稲田堤〜狛江市和泉多摩川(陸路:府中市四谷〜稲田堤)



今年は水上部隊だけで、昨年の3倍近くの15名もの参加予定者があり、嬉しい反面、艇の振り分け、車の分乗、装備、段取りの計画の変更による打ち合わせが出発まで連日あった。
食料は料理上手の加藤真紀子にお願いし、食事内容と緊縮予算に心を砕いてもらった。
しかしながら日程の変更などにより、参加出来なくなったメンバーもいた。事件は旅団長、勝田の突然の怪我による主砲のベンチ入りがあった。会の外の川の仲間、アウトドアライターの竹内善範、カヌー業者の鈴木謙二の参加が勝田の欠落を支えてくれた。

部隊概要:
漕行人員は、初日は9名、中2日が4名。陸上支援は毎回お世話になる杉浦一家、途中から自転車で河原ルート調査に回った長野会長、助っ人参加の平山の5名で水陸計15名。
最終日の参加予定者の森田、柴崎、原、日吉は台風による日程短縮で実現できなかった。

●8/17(金)朝 
 奥多摩の特訓(先遣別働隊)

先遣部隊 加藤真紀子の特訓教室の生徒たちは中川、保坂、梅田、山田の4名
中川は清流の初沈でカヌーの魅力に開眼、ウインドサーファー保坂はカヌーのレスキューアーを目指すまでの上達振り。

     恐ろしい体験が待っているとも知らず楽しい昼食

                                               この日の体験日記はこちら!

8/17(金)  
 全員集合 夜中のアツアツ・キムチ鍋

幕営地の奥多摩御岳の第三発電所駐車場に全員が集合したのは日付が変わる深夜になる、長野会長、堀、そして那珂川から遠路イベントをハシゴで参加してくれた竹内、鈴木がようやく到着。
待ち受けていた初参加の梅田、中川、保坂、加藤、これでクルー全員集合、計8名。
そして、会報担当の山田編集長はカヌー特訓・取材の日帰り予定だったが、朝帰りを決意して壮行激励会に参加。 中川の作った温かいキムチ鍋にワインで乾杯 旅の無事を祈る。

             
         旨い鍋をアリガト、さぶちゃん・・                深夜に及ぶ打ち合わせ

8/18(土) 奥多摩〜青梅市川辺「市民球技場」
          のんびり朝食で昼前のスタート

朝には杉浦父子の陸上支援隊が到着し、昼食装備などを愛車に載み一歩先のスタート。飛び入りで加藤友人の網谷が美しい新艇のケプラー製カヤックで柚木まで友情参加。心強い仲間が増える。

          
           出発前の勇姿                        今回も参加、マッキー


タンデム・ダッキー(二人載り・ゴムカヤック)に中川と加藤、カヤックは鈴木、ラフトは竹内、堀、長野、保坂、梅田の5人、ラダ―マンは上流難易個所を竹内がとり、澤井以降は堀に交代。
昨年の台風後の増水時と違い、水量はかなり少なく、いくつかの難所だった個所もなんなく通過、「澤井のままごと屋」を過ぎた後はのんびりとした瀞場と難しくない瀬が交互に我々を迎える。
川幅いっぱいに水没した低い堰堤が3つ、10mおきに並ぶ、オーバーフローしている右の切れ目(魚道?)が定番コース、大きく左右にカーブした後の右岸に広がる河原、柚木に到着、杉浦の温かい味噌うどんが小雨で冷えた身体を癒す。網谷のサポートはここまでで上流にきびすを返す、梅田は「楽しかった、気持ち良かった、またやろう」の言葉を残し帰路に。

からだの冷えないうちに早めのスタート、左のドッグレッグの後は渓谷美が続くが、この先には上流部、最大の危険物の難所「テトラの堰」が待ち構える。地元市民やカヌー愛好者から危険を指摘され死者もだしているが、昨年同様、管理者(東京都)は何の安全対策・表示もしていない。

           
              テトラが迫る!!                        テトラ全景


左岸の大きい岩の上を舟を担いで歩く(ポーテージ)、下流側から再乗艇し、その人工物の残骸の恐ろしさを実感する。会長の長野は記録のため何枚も写真を撮る。だんだんと町並みが増えてきて都会に近づいてくる、今日の幕営地を捜すため陸上の杉浦と連絡をとる。

右岸の友田の運動公園は階段型の護岸で接岸しやすいので上陸し偵察。テニスコートに広い芝生、家族用テーブルベンチ、屋外トイレと綺麗に整備されているのだが、5時すぎなので道路側入り口は閉門、看板の管理項目(キャンプ・バーベキュー禁止など)を読むと我々は好ましからざる人物のようだ。

気を取り直し舟のメンバーを入れ替え、舟を出す。ラフトのラダ―を初めて握った長野会長は、その難しさを改めて体験した。目と鼻の先の川辺の市民球技場をチェック、地元の人達が河原にタープを張りなにかの会をやっている。聞けば夜も開放された公園型、こんもりとした木が植えられた場所にキャンプを設営する。

杉浦ジュニア(秀樹8才)は初めてのテント泊。薄暮の中で建てたテントが闇の中にランタン光で浮かび上がると少年はテントの中から這い出し、今夜はどんな夜が来るのかとウットリとテントを眺めている。中川と保坂は所用でキャンプ設営を手伝った後、食事をせずに帰宅。
今宵は加藤の料理に舌鼓、食事中に小雨が降ってきたので、テントの中に宴を移す、勝田の床のない大型テントは靴のまま入れ、ベッド(軍用コッド)で6人は寝られる優れもの。
皆、昨夜の寝不足を取り戻すように早めの就寝。
    


川の公設の施設には色々あるが、川をキャンプで移動する者は想定されていないので、多くは5時には閉る。それはそれで結構であるが、基本を自己責任としている我々のような者にも使える、那珂川大橋下流右岸の道の駅、自由キャンプ場、荒川の玉淀河原などのように、門扉、鉄柵の無い、緩やかな管理型(トイレのみ・ゴミは当然持ち帰り)や自主管理型(水場、トイレ、駐車場、僅かな平坦な広場、川と道路へのアプローチ、樹木など)のシンプルな施設があればありがたい。
仕事の帰りに事前に施設使用許可をとり、車両入場の鉄柵鍵を借りに行き、返しに行く、などという施設も不便である。昼間の公園使用者と同様に、上述のような質素な施設を利用できると良い。
使う側の立場で施設が作られないのは何故だろうか、簡易な施設の場合は最低限の管理で充分なはず、建設コストも運用費用も低くできる。

8/19(日 青梅市・川辺〜福生市・北田園の多摩橋で上陸
          陸路にて府中市四谷へ

スタートはカナディアンカヌーで堀と竹内が未来を支える宝物、杉浦ジュニアを乗せ、鈴木がカヤックでエスコート、いつも他人を気遣う加藤が回送車の運転を引き受ける。
快適なスリルのある瀬からのスタートし、まもなく小作(おざく)の取水堰右岸をポーテージし羽村の堰に到着、しかし、水は90%以上が取水口に取られ玉川上水へ、堰から下流に水がなくカヌーを進めることは難しい。昨年は雷と大雨の大増水の幕営地だったのが嘘のよう、家族連れのBBQや釣り人が大勢川で遊ぶ釣糸の近くをなるべく避け、舟を担ぎ上げ運び無用の摩擦は回避する。
後に続く清流のスベリ台上の秀樹は、父母と離れ冒険オジさんたちの仲間になり下流を眺めるポーズが少し大人っぽい。

           
              小作上流                             羽村上流


      羽村上流を下る


羽村から先が川幅5mぐらいの水の少ない小川、町会テント?を張った、おとりアユ販売者が
ここはカヌーは駄目だ駄目だと怒鳴っている。(誰がきめたの?)我慢して、本流を外れ船を降り、釣師たちの背後を通ろうとするが、水深30cmにバスケットボール大の石や流れ出した大きなブロックがゴロゴロの上を難行苦行、ベテランの鮎釣師が声をかけてくれる「どこまで行くの」
「一応羽田まで」としばし歓談。
ベテラン曰く「この先は何本も竿があるけど、ヘタクソほど釣れてないから八つ当たりされるぞ、鮎はカヌーぐらいでは逃げて行かない、むしろ動きが良くなり釣れることもある」「今も空いている場所で釣ろうとしたら、『朝から俺の場所だ』と怒鳴られた。了見の狭い奴が最近多い」「カヌーは釣より気持ちが良さそうだナ」
釣人との摩擦と舟底の摩擦で楽しさ、気持ちの良さが少なくなってくる。

               
                     釣師・ブロック・土丹が待つ

           
                            とにかく、水量がない


陸上の杉浦夫妻とのコンタクトが難しい。理由は川から見て橋に名前が書いていないこと、。水路の川はシンプルだが、自動車道路は右岸左岸と橋がありスピード、渋滞でペースが合わない等である。
やっと杉浦夫妻、自転車の長野会長の待つ多摩橋に上陸、全部隊合流。秀樹も母さん、父さんに合えて嬉しそうだが、冒険もここまでで少し残念そう。
杉浦一家を挙げて準備してくれた昼食、皆ほぼ二人前をぺろりと平らげる。夕べも今朝も杉浦からは、氷、コーヒー、いやそれ以外にも至れりつくせりの支援を受ける。
ここで杉浦一家とお別れ、細部にいたる気遣いに皆感謝。この区間で楽しかったのは秀樹を泳がせて、のんびりした羽村堰のひとつ下流の堰下、前述の釣師とのふれあい、長野会長が橋上から写真を狙った緩やかなS字カーブの流れ込みの景色。

あまりの水量の少なさから、車で回送を決め水量の増えた場所で再度入水ポイント捜すことにして竹内、鈴木、加藤、堀はドライブを楽しむ。長野会長は自転車での調査継続、結果的に幕営地までの距離をパドルならぬペダルをこぐ事になるが、その脚力はなかなかのツワモノ、あのエネルギーの源はなんだろうとふと考える。 後で聞けば脇道、路地を迷い30kmを走る。
その日は艇を降ろせるポイントが右岸寄りばかりで結局、幕営地までドライブ府中市の川堤の道路横に出来たばかりの小さな「さくら公園」に到着。整備された芝生、水呑場、身障者用トイレ、葡萄だな(植物はない)。
今日は竹内がうでをふるったアルデンテのパスタにワイン、ナスとピーマンの味噌炒めは懐かしのお袋の味、今度はビールで乾杯。家族の迎えで長野会長は帰宅。食事の後に車で銭湯に行く、蚊やブヨに刺され、汗の肌に熱い風呂がしみる。風呂から加藤が帰りまた飲み直し、日射と疲れから早めのベッドづくり。
今宵は芝生に囲まれた気持ちの良い露天ベッド、雲の切れ間から蒼暗い空が所々に見えるが、雨の気配は感じられない。なにかアンバランスな、都会の自然の中で眠りに落ちて行く。

8/20(月) 稲田堤〜狛江市和泉多摩川(陸路:府中市四谷〜稲田堤)
          助っ人の参加と、「台風」接近 

幕営装備、車両、艇を提供し、そしてなにより毎晩欠かさず声援を送ってくる勝田(怪我のため参加を断念)から、台風コース情報と雨の予想があった。
明後日の最終日には参加予定者もあり、羽田行きオプションも念頭に、多くの会員による打上げ計画があったが、台風接近により日程を一日キャンセルし関係者に連絡を行う。
最後は残った全員で漕ぎたかったので車回送の助っ人を呼んだ。平山青年は朝がけの電話にもかかわらず、快諾し交通機関を乗り継いで来てくれた。

この四谷近辺は川が大きく右岸に蛇行したままで、船を降ろす場所が左岸には少ない、またポーテージ距離が多いため、昨年使った稲田堤右岸のボート小屋前から狛江市和泉多摩川(左岸)の小田急線下を昼食場所・最終ゴール地に決定。
ベテランの竹内は新しく参加した平山に乗艇を譲り、車回送役に。カナディアン2艇に平山・堀ペア、そして鈴木・加藤ペアで出発。ここは距離こそ短いが、楽しいコースで堀の住む家がある、まさにホームゲレンデである。

稲田の堰(二ケ領・上河原堰)上流でパドルならしをした後、堰をポーテージして魚影の濃い緩やかな流れの中を進む、中州の淵で昼寝を楽しむ沢山の鯉が慌てて飛んで行く、まるで小型の魚雷のようだ。この付近までは河口から天然の鮎が上がる、地元の人は顔を緩ませ投げ網を打つ。
堰下200m左岸にはちょっとした二股の瀬があり左コースは楽しめる。
車で先行した竹内が途中でビールを詰めたカヤックで下流の和泉多摩川から溯り本隊を待ち伏せ、皆に中州で冷えたビールを振舞う。台風の明日を控えるも、貸切りの島を占有し、なんとものどかなひとときを過ごす。
初日参加の中川が和泉多摩川の広場で迎えてくれる、最後の会食はハヤシライスにラーメン。
楽しいパドリングだったので、美味い!

この和泉多摩川は別名「難民キャンプ」、狛江市は大型の分別ゴミ箱を設置し努力しているが、真夏の期間は、大勢の人で賑わう。河原に散らかったゴミも気にせず、若者グループがBBQでラジカセ音楽をガンガン流す、小田急鉄道も走り、鳥の声やせせらぎもこの河原では聞こえない。
今日は旅の最終日、少し切ない気持ちになり無性に静かな水面でカヌーに乗りたくなった。竹内も漕ぎ出す。二艇で川の瀞場を漂う、今回はこんな浮遊感が少なかった。

旅はいろんなことがあった、好きでやっているのだが必ずしも毎日が快適だった訳ではない、俗物釣師の罵声も浴びたが(相手も嫌だった?ゴメンナサイ)、悠然と楽しむ釣師にも会った。
準備万端整えたテーブルにワインを冷やしても、優雅な気持ちになれない時もあったが、道端、河原で差し入れのコンビニフードに温もりを感じることもあった。

整備されたハコモノ公共施設で「火気禁止」の看板に追い出されたが、市民の側を向いた温かい施設もあった。そこでは夜間でも人が出入りでき、公衆電話、トイレ、水場、自然護岸や日陰を作ってくれる樹木があった。
川にいるとなにか温かい・冷たい、悠然・せかせか、滑らか・ざらざら、そんな事に敏感になるのかも知れない。

旅は終わって、目を閉じると、あの奥多摩の清流の気持ち良さや仲間同士で助け合い、楽しかったこと、愉快だったこと、少しのイザコザなど、思い出が走馬灯のように浮かんでは消える。
来週からはまた満員電車の都会の生活が始まるのだ。

夜は支援してくれた勝田を迎え、長野会長、中川も仕事帰りに駆けつけ、参加者一同で大いに語る。

不充分な準備、実務の欠落、至らぬ心配り、反省は私として沢山あり、何時もながらメンバーの助けを頂き、やってこられたことを皆に感謝し、この拙文を来年以降の実施の是非などの参考にしていただければ幸いである。


                                  多摩川リバーシップの会
                                              堀 展史
                               (文中敬称略・旅中不手際許乞)



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